ガラシャ様の姑にあたる 細川麝香(じゃこう) の故郷。福井県若狭町に行って参りました。
麝香は 若狭熊川城主 沼田光兼の娘として誕生。 父が足利義晴の命を受け 細川藤孝(細川家初代 後の 幽斎)の後見人をしていたことで結ばれたと言います。
夫婦仲もよく 藤孝は側室をもたず、
ただ1人、正室として麝香を生涯愛したそうです。(9人出産 忠興は1563年に誕生)
また 息子 忠興の妻 玉(ガラシャ)とも仲が良く 同じ時期の妊娠。出産を励ましあっていたという事もあったそうです。
ガラシャの死に対して非常に影響を受け 洗礼を受け「細川マリア」となっています。
麝香はとても勇敢な女性でもあったようです。
1600年関ヶ原の戦いでは 田辺城での籠城図の配置を紅で描いたり
具足をつけて城を夜廻りして家来たちを励まし幽斎と共に戦ったと伝えられています。
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さて 今回 訪れた熊川宿
ここには 広大な熊川城後が残り
また 熊川の資料館には貴重な品が展示してあります。 (展示品は写真禁止)
貴重な展示🔻🔻🔻
◯幽斎 麝香の肖像
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肖像に関することが楽しく書かれています。
◯麝香直筆の文章が書かれたの扇🪭
紅色の鮮やかな扇の掛け軸でした。
◯光秀が信長の朝倉攻目前に
幽斎に送った直筆の手紙
光秀は 信長が率いる 朝倉討伐の先発隊として福井県の金ヶ崎へ到着。
自分の状況を伝えた手紙を幽斎に送っています。
光秀は自分にゆかりのある土地を大変大事に想われていたのではないでしょうか。
また 熊本細川家には 光秀が送った手紙が沢山残っているそうです。
盟友 幽斎と光秀の繋がりはとても深いものだったのでしょう。
また この時 浅井長政の裏切り( お市の方が両端を結んだ小豆袋を届けて挟み撃ちを知らせた、という逸話) 金ケ崎の退き口
熊川から京都へ逃げて行く中でも 光秀と秀吉が しんがり(最後尾で敵の追撃をふせぐ役割) となって 浅井朝倉軍を防いだと言われています。
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麝香様と熊川城の御朱印ゲット
各300円
資料館観覧料200円
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熊川城後
白石神社
鳥居をくぐり少しゆくとこの立札が現れます。
もっと 上の方にゆくと 上の本殿に続く階段が…。
コケが全面にはっていて もしこの急な階段を踏み外し 何かあったら時に 1人で来ているので発見してもらえることがないかも。。っと思い上がるのは諦めました。
熊川城 はためくのぼり
ここから15分くらいで熊川城跡へ上がれるそうですが なにしろ 1人なので写真だけ。
パンフレットの注意書きには、熊、鹿、猿が出ないとも限りません。鈴やラジオなどの音の出るものをご持参ください。入場口には鈴のついた杖が設置してありますのでご利用ください。
くれぐれも安全に留意し、自己責任でお願いしますと書いてありました。
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